亡き父に捧げる感謝の言葉              𠮷田瑠璃子

お父さん

いよいよ、この世でのお父さんとの最後のお別れの日がやってまいりました。

大好きだったお父さんと、もうこれっきりお逢い出来ないのかと思うと、只々悲しみで胸が一杯になります。こうしてお父さんと永遠のお別れをするにあたり、日常は考えても見なかった数々の出来事が走馬燈のように、今また新たに胸に甦ってまいります。

そして先ず思うことは、あゝ私はお父さんのような人をパパと呼び、お父さんと呼ぶことが出来、何と幸福者だったか・・・ということです。

考えてみると、お父さんにとっては、大変ご苦労の多い一生でした。しかし、お父さんは何時も明るく朗らかで、どんな辛いことがあっても顔には出さず、母や私達を愛し続けて下さいました。

幼い時からの記憶をたどると、私の物心ついた頃よりつい最近まで、お父さんは、ただひたすらに働くことの明け暮れでした。

何事につけても手早く、こまめなお父さんは、ユタ州で農業を営んでいた頃も、弱い母と、幼い私達四人の子供をかかえて畠仕事から帰ると体を休ます暇もなく、昔使用していたワッシタブにたっぷりとお湯をひたし、幼い順に、ハイ愛子・・・次は妙子・・・るり子、・・・正行、と声をかけながら、日中砂にまみれた私達四人の子供にお風呂を使って下さったものでした。そしてその次は、そのお湯の中に私達四人の汚した着物を入れ、ワッシボードでせっけんをつけながら、ゴシゴシと汚れた着物を洗い、残ったお湯でフロアをモップする日常でした。

僅か五才だった私は、母が弱かったためもあって、よく父のすることを見ていました。こうしたある日、お父さんを気の毒に思った私が、お父さんを喜ばせたく、小さな手でお米をとぎ昼食に帰って来るお父さんや皆のためにご飯を炊きました。

ところが、まだ六才にも満たない私がお米の水加減が分かる筈もなく、出来上がったご飯は半煮えでした。しかし、お父さんはそのご飯をおいしいおいしいと言ってニコニコして食べながら、小さい私の頭を撫でて下さるのでした。

五十年昔のこの出来事が、たったこの間のように思えますが、私にとっては忘れ得ぬ懐かしい思い出です。

当時、仲良しだった叔父夫婦と共同で農家に従事していたお父さんも、一つの楽しみとしてベースボールシーズンが来ると、日曜ごと若い日系青年達を集め野球のマネージャーをしていました。そして若い人達からターム、タームと親しまれていました。試合日が近づくと、アラス叔母と二人でたくさんのサンドイッチブレッドを買って来て、プレヤー達のため、美味しいサンドイッチを奮発する気前のいいお父さんでした。

1935年になって、当時八才だった私達に日本教育を与えたいという、当時の一世にならって、私達も広島に住む祖父母の元に預けられることになりました。不幸にして日支事変、そして大東亜戦争と相次いで勃発し、完全に日本との音信がとだえてしまいました。原爆投下と共に終戦となり、やっと日本との連絡がとれるようになると、いち早く、私達の身の上を案じ続けていたお父さんは、食糧不足の日本に向けせっせと月に四度、毎週のように小包を送り届けて下さいました。コーヒー、お菓子、カンヅメ、砂糖、そしてある時はフラワサイキをきれいにミシンで縫って、その中にぎっしりと白米を詰め込んでありました。後日、母が、あれはみんなお父さんのしたことよ、と教えて下さいました。子ぼんのうな父は私達が再渡米するまで二年間欠かさず、毎月、毎週それを続けて下さいました。

終戦後二年が過ぎて、私達も両親の呼び寄せで再渡米しましたが、手続きをしてみると、渡米の船賃として私達姉妹のために一等客船の旅費を払い込んでいて下さいました。本当にその時はびっくりしました。長らく別れていた娘達への優しい思いやりがここでも見せられた感じでした。

サンフランシスコまで出迎えて下さったお父さんは、まだまだ若く元気一杯で、デッキにいる私達の姿が見えると、とても嬉しそうに手を振り、下船する私達が待ち切れない様子でした。

下船後、お父さんの温かい手を握り、よう帰ってきたのうーとおっしゃった時は、ただもう胸が一杯で涙ばかり流れました。

一泊後、ユタに帰った私達はそこで再びお父さんが昔とかわらなく、夜明けから夕暮れまで働く姿を見て胸打たれました。私達もじっとしておられず、お父さんの後に従いましたが、手の早いお父さんの十分の一の仕事も出来ませんでした。

翌1948年には英語の分からない私達の将来を思って、手慣れた仕事を辞め、ロサンゼルスに移住し、また新しい生活を始めて下さいました。五十才にして新しく庭園業に踏み出したお父さんはさぞ大変だったと思います。

こうして、お父さんの明け暮れは仕事、仕事で私達のために一生懸命働く事だけでした。お父さん、本当に永い間ご苦労さんでした。本当にお疲れになったことでしょう。

静かに眠りにつかれたお父さんとお別れするにあたり私は心から、お父さん、本当にありがとうと感謝の言葉をお送りします。そして来世があるというならば、又次の世で、お父さんをパパと呼べるよう生まれて来たいと思います。

お父さん、では、さようなら。

安らかにお眠り下さい。

瑠璃子

(日本人の心2英訳版につづく)