一二三の食べ方
「一二三(ヒフミ)の食べ物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑(の)むのざぞ、これは一二三の食べ方、頂き方ざぞ。
神に供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによって治るのざぞ、心も身も分け隔(へだ)て無いのであるが、わかるように申して聞かしているのざぞ、取り違い致すでないぞ」 *神と書いた部分は、変換できないので、神と記しました。
「食べ物頂く時はよくよく噛めと申してあろが、上の歯は火(カ)ざぞ。下の歯は水(ミ)ざぞ。火と水と合わすのざぞ。かむろぎかむろみぞ。噛むと力生れるぞ。血となるぞ。肉となるぞ」
「四ツ足を食ってはならん、共喰いとなるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ」
「日本には五穀の、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民食いて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ」
「ひふみの食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉(うれ)し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ」
「一椀(ひとわん)とってまず神に供えよ。親に捧げよ。子に捧げよ。腹八分の二分は捧げよ。食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。神に捧げずにむさぶるからメグリ積むのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物慎(つつし)めばよい。言(こと)慎めばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。このわかりきったこと、何故にわからんのぢゃ。
捧げるからこと頂けるのぢゃ。頂けたら捧げると今の人民申しているが、それが裏腹(うらはら)と申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのではないぞ。預けられているのであるぞ。人民に与えられているものは食物だけぢゃ。日の恵み、月の恵み、地の恵みだけぢゃぞ。その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあろうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ」