水野南北 開運の極意   万に一の誤り無し

食は運命を左右する

水野南北は、江戸時代中期の頃の観相学の大家で、日本一の観相家といわれ、自身も食で運命を変えた「節食開運説」を唱えた人物です。

小野妹子が先祖という名門家の出身ですが、10歳から飲酒を始め、酒代を稼ぐために罪を犯し、投獄されました。

投獄中に、囚人と娑婆(シャバ)の人間との人相に際立った差異があることを発見し、観相学に興味を持ちました。

出所後に、人相を見てもらったところ、「あなたの寿命はあと1年。長生きをしたければ、出家しなさい。」と言われ、禅寺を訪ねました。

ところが水野南北があまりにも人相が悪かったため、住職から、

「1年間麦と大豆だけの食事を続けてきたら入門させよう。」と」言われました。

水野南北は、その教えを守り、1年後にその禅寺を訪ねました。

その時、住職は水野南北の顔を見て驚き、

「剣難の相が消えた。麦と大豆の食で功徳を積み、その陰徳が相まで変えた。もう入門の必要はない。」と言い、出家は取りやめになりました。

水野南北は、自分の体験から観相に興味を持ち、観相家として修行を積むことになりました。

自身の食を変えたことで人相が変わった実体験だけでなく、修行として風呂屋で三助になったり(体全体を見るため)、死人の相を確かめるために火葬場の仕事までやりました。

こうして、人相をとことん研究した結果、日本一の観相家になりました。

水野南北はこのようなことを言っています。

「粗食の者は貧相でも幸運をつかむ」

「食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や、未来の運命を予知することができる」

「三度の食事の質と量をきびしく定めている者は、悪相であっても財をなし、出世する。また家の相続も果たせて、晩年は吉である。」

「酒肉を多く取り肥満したものは、生涯にわたって出世栄運がない。食を慎まなければ晩年は凶である」

水野南北は最終的には人相よりも食の方が重要と言っています。

水野南北の顔相は貧弱そのものでありましたが、「食はその人の運命を左右する」という悟りを開いて、自身の食を、一日に玄米一合、酒一合と定め一生涯実践してからは運がどんどん開いていきました。

ついには相学の大家となり数百人の弟子を持ち、屋敷一丁四方、倉七棟に及ぶ大成功を収めました。

顔相が福相でも多食のものは運が悪くなり、顔相が貧相でも粗食に過ごすと幸運を掴むというお話でした。